2017年1月23日月曜日

算数のようなこと

こんにちは、すしおです。
ひっさしぶりの投稿です。

大学の卒業論文の提出も終わりまして、大学に行くことがあまりなく、人と会うことがかなり少なくなってきました。
暇さえあればTwitterを開いています。それで思うのは対面でのコミュニケーションの難しさについてです。Twitterは対象が限定的でなかったりして、わりと手軽に言葉を扱うことができます。一方で実際に顔を突き合わせて会話となると色々な問題が生じてきます。場所、時間、表情、身振り、コンディションなどあらゆる要素が会話に影響を及ぼします。
それでも私たちは言葉を扱って他人とコミュニケーションを取ろうとします。

個人的ですが、どうしてこんなリスキーな 会話なるものをしなくてはいけないのか、疑問に思うことが多々あります。自分の思っていることがなかなか伝わらない。そういった経験は多くの人がされていると思います。

会話は言い過ぎるか、言葉足らずかが必ず生じてしまうように思います。
丁度いい会話なんて存在しない。

私たちは他人に嫌われないように『いい塩梅』の会話をしようとします。
でも『いい塩梅』の会話をすることを目指しているわけではないと思うんです。

私たちには、言葉を使って他人に伝えたいことがある。だから会話をするんです。

『これを言うと相手を傷つけてしまう……だから言うの止めよう』ではなく『じゃあどう言えばこの気持ちを伝えることができるのだろうか』ということを考えなくてはいけない。言い過ぎと言葉足らずを自分なりに調整しながら他人と会話をする。

私自身、今年3月で大学を卒業するにあたって、社会に出た時に求められるコミュニケーションって、きっとこういうことなんだろうな……と最近思ってます。日本人であり日本にいる以上、この言語を使って会話をしていかなくてはならない。

きっとこの文章も、未来の自分にどうしても伝えたかったからこうやってブログに書いたのだと思います。

以上

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